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「自由に生きたい」だけでは足りなかった。父の死、母の闘病、子どもの誕生で変わった僕の価値観

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ABOUT US
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RYO代表

1985年大阪生まれ。英語コーチ・オンライン起業家。

現在は英語コーチングサービス「RYO英会話ジム」を7年以上運営。
2020年から海外ノマドとして世界を旅しながら、オンラインで生計を立てています。

現在は、自分のスキルを商品化してオンライン起業したい人向けに、ノマドコーチングを提供。

得意分野:

英語コーチング(商品開発・教材制作)
Webサイト設計・売れる導線設計
SNS/SEO・AEOマーケティング
オンラインで生計を立てる仕組みづくり

趣味: 英語学習、ノマド生活、筋トレ、資産運用

ライフスタイル:
柔軟で自由な働き方を追求し、パンデミック以前からデジタルノマドを実践。
今後は、AI時代でも通用する「スキルを資産に変える働き方」を体系化し、広めていきたいと考えています。

僕はこれまで、「自由に生きること」をかなり大切にしてきました。

場所に縛られずに働くこと。
自分で時間の使い方を決めること。
興味を持った場所へ行き、知らない世界に触れること。

オンラインで英語事業を運営しながら、日本と海外を行き来するノマド的な生活を続けているのも、そうした価値観が自分の中にあるからです。

ただ最近、改めてこんな疑問を持つようになりました。

そもそも価値観とは何なのか。
自分が大切にしている考えは、本当に自分のものなのか。
価値観を持つことと、その価値観に支配されることは何が違うのか。

「自由に生きたい」という価値観でさえ、持ち方を間違えれば、

自由でなければならない
組織に属してはいけない
誰かに合わせる人生は間違っている

という新しい縛りになってしまうことがあります。

自由を求めていたはずなのに、「自由であるべき」という思考に支配される。

それでは、本当の意味で自由とは言えません。

この記事では、僕自身の経験も振り返りながら、価値観はどのように生まれ、環境の変化にどう向き合えばいいのかを考えてみたいと思います。

価値観とは、人生の方向性のようなもの

価値観という言葉は、少し曖昧です。

意見、考え方、信念、世界観などと混同されることもあります。

僕なりに整理すると、価値観とは、

自分は、どちらの方向へ生きたいのか

を示すものだと思います。

例えば、

  • 自由を大切にしたい
  • 家族を大切にしたい
  • 誠実でありたい
  • 挑戦し続けたい
  • 安心できる暮らしを築きたい
  • 誰かの成長を支えたい

といったものです。

これは、具体的な行動ルールではありません。

「自由を大切にする」という価値観があっても、必ず海外へ行かなければならないわけではありません。

「家族を大切にする」と思っていても、家族の頼みをすべて引き受けなければならないわけではありません。

価値観は、目的地を指すコンパスに近い。

一方で、

  • 海外を移動する
  • 独立して働く
  • 毎日長時間努力する
  • 家族の希望を優先する

といったものは、価値観を実現するための具体的な方法です。

ここを混同すると、価値観がだんだん硬いルールへ変わっていきます。

価値観を持つことと、思考に支配されることの違い

例えば、「強くありたい」という価値観を持っている男性がいるとします。

その人が、

強い男は泣かない

と信じていたとします。

大切な人を失い、涙が出そうになっても、

男は泣くな
泣くのは弱い人間だ

という考えによって、感情を押し込める。

このとき、「強くありたい」という価値観よりも、「男は泣くな」という固定された思考に支配されています。

一方で、同じように強さを大切にしている人でも、

悲しいなら、悲しみを受け止めてもいい
涙を流した後に、また前を向くことも強さなのではないか

と考え直せる人もいます。

この人は、強さという価値観を捨てていません。

ただ、

強さ=感情を見せないこと

という以前の定義を、

強さ=感情を受け止めたうえで、自分の行動を選ぶこと

へ更新したのです。

価値観を道具として使えている人は、価値観そのものよりも、価値観の解釈や表現方法を柔軟に変えることができます。

反対に、思考に支配されている人は、

自分がその考えを持っている

というより、

その考えに自分が持たれている

状態になります。

反対意見を聞けない。
例外を認められない。
苦しくても「こうあるべき」に従い続ける。

価値観の中身以上に、その持ち方が重要なのだと思います。

なぜ人によって価値観は違うのか

同じ社会、同じ学校、同じ家庭で育っても、人によって価値観は大きく違います。

自由奔放な人もいれば、安定を好む人もいる。
自然に人をまとめるリーダータイプもいれば、一歩引いて全体を観察する人もいる。

これは、単純に環境だけで決まるものではありません。

人には、生まれ持った気質があります。

新しい刺激を好む人。
慎重に安全を確かめる人。
人と関わることでエネルギーを得る人。
一人で考えることを好む人。
感情の変化に敏感な人。
多少のことでは動じない人。

ただし、生まれたときから「自由を大切にする」という完成された思想を持っているわけではありません。

まず、言葉になる前の「傾き」があるのだと思います。

例えば幼い頃から、

  • 管理されると強い窮屈さを感じる
  • 新しい場所へ行くとワクワクする
  • 自分で考えて決めることが好き
  • 決まったやり方を繰り返すと退屈する

という反応がある。

その後、学校、仕事、人間関係、旅などを通して、

自分は自由を大切にしたい
自分の人生を自分で選びたい

と、その傾きに言葉が与えられます。

つまり価値観は、

生まれ持った気質
+経験
+その経験の受け取り方
+自分なりの意味づけ

によって育っていくものなのでしょう。

同じ環境でも、同じ世界を生きているわけではない

「同じ家庭で育ったのに、なぜ兄弟で性格が違うのか」と考えることがあります。

しかし、外側の環境が同じに見えても、内側で経験している世界は違います。

例えば、厳しい親に育てられた二人の子どもがいたとします。

一人は、

期待してくれている
頑張れば認めてもらえる

と受け取るかもしれません。

もう一人は、

自分の希望は尊重されない
ここから早く自由になりたい

と感じるかもしれません。

同じ出来事でも、その人の気質や、それまでの体験によって意味が変わります。

さらに、兄弟であっても、

  • 生まれた順番
  • 親から期待された役割
  • 学校で出会った友人や先生
  • 成功や失敗の経験
  • 周囲からどのように評価されたか

は異なります。

だから「同じ環境で育った」というのは、あくまで外側から見た話です。

人は、それぞれ違う世界を内側で生きています。

僕が自由を大切にするようになった理由

僕が自由を強く意識するようになった背景には、高校時代の経験があります。

当時、僕は男子校の進学校へ通っていました。

本当は国際系の環境や、英語にもっと触れられる道に興味がありました。

しかし、親との意見の違いもあり、結果的に自分が本当に行きたかった方向とは違う学校へ進みました。

学校の授業にも意味を感じられず、バスケットボール部の雰囲気もかなり軍隊的でした。

「ここにいなければならない」
「途中で辞めてはいけない」
「頑張らなければならない」

そうした思考に囲まれながら、自分の内側で起きていることをうまく見ることができませんでした。

次第に、勉強も、部活も、人間関係も、すべてが重くなっていきました。

希望を感じられなくなり、一年ほど慢性的にうつ状態のような時期を過ごしました。

今振り返ると、僕は感情を意図的に無視していたというより、そもそも内面の声を観察する方法を知らなかったのだと思います。

「苦しい」
「何かが違う」
「本当は別の方向へ行きたい」

そうした感情は、弱さでも甘えでもなく、自分の人生が今の環境と合っていないことを知らせるサインでした。

しかし当時は、

我慢するべき
頑張るべき
逃げてはいけない

という思考の方を、絶対的な事実のように信じていました。

思考が人生の運転席に座っていた状態だったのだと思います。

エックハルト・トールとの出会いで変わったこと

その後、エックハルト・トールの考え方に触れました。

そこで初めて、

思考や感情は、自分そのものではない。
自分の内面で自然に起きている現象として、観察することができる。

という事実を、はっきり意識するようになりました。

僕たちの頭には、自分が意図していなくても、さまざまな思考が浮かんできます。

過去の失敗を思い出したり、まだ起きてもいない未来を心配したり、「こうしなければならない」という考えが突然出てきたりします。

感情も同じです。

誰かの言葉を聞いた瞬間に怒りが湧いたり、理由をうまく説明できないまま不安や悲しさを感じたりします。

それらは、僕が意識的に「今からこのことを考えよう」「今から怒ろう」と決めて起こしているわけではありません。

自分の内面で、自然に発生しているものです。

しかし、呼吸や心拍、体の緊張、足の裏の感覚などに意識を向けると、

今、自分の中にこんな思考が浮かんでいる
胸のあたりに不安がある
体が緊張している

と、内面で起きていることに気づけます。

その瞬間、思考や感情が消えるわけではありません。

ただ、それらに無意識に飲み込まれる状態から少し離れ、「今、自分の内面で起きていること」として見られるようになります。

すると、勝手に浮かんでくる思考に延々と引っ張られるのではなく、必要なときに考えるための道具として、思考を使いやすくなります。

感情についても、ただ反応に任せるのではなく、

なぜ自分は今、怒っているのか
何を失うことを恐れているのか
何が自分にとって大切なのか

を知らせるサインとして受け取れるようになります。

思考をなくす必要はありません。

思考は、計画し、分析し、言葉にし、問題を解決するための優れた道具です。

感情も邪魔なものではありません。

自分の状態や、心の奥で大切にしているものを知らせてくれる、人生のコンパスになり得ます。

ただし、勝手に浮かんだ思考や感情を、そのまま自分自身や絶対的な事実だと思わないこと。

呼吸や身体感覚に意識を戻しながら、まず内面で何が起きているかに気づく。

そのうえで、思考を使うのか、感情が伝えていることをどう行動に生かすのかを選ぶ。

僕がエックハルト・トールの考え方に触れて得たものは、思考や感情から離れた特別な存在になることではなく、もともと自分の中で起きていることに気づき、それらをよりよく生かすための内面との付き合い方だったのだと思います。

自由への価値観は、本心なのか防御なのか

ここで難しい問題があります。

僕が自由を大切にしているのは、本当に自分らしい価値観だからなのか。

それとも、過去に抑圧された経験があるため、

二度と縛られたくない
誰にも人生を決められたくない

という防御反応が強くなっているだけなのか。

おそらく、どちらか一方ではありません。

純粋な好奇心もある。
未知の場所へ行くことが好きなのも本当です。

一方で、管理されたり、選択肢を奪われたりすることに、人一倍敏感になっている部分もあるでしょう。

だから大切なのは、

これは本当の価値観か、防御か

と白黒をつけることではありません。

むしろ、

どの部分が純粋な願いで、どの部分が過去の恐れから来ているのか

を見分けていくことです。

自由を求める気持ちに恐れが混ざっていたからといって、自由という価値観が偽物になるわけではありません。

ただ、恐れに気づけるようになると、「何が何でも自由でなければならない」という硬直した生き方からは離れやすくなります。

環境によって、自分の価値観を生きられなくなったら

自由を大切にしていても、人生では自由に動けない時期があります。

家族の介護。
子育て。
経済的な事情。
病気やケガ。
事業上の責任。
大切な人を支える必要がある時期。

例えば、海外を移動しながら働いていた人が、親の介護のため数年間、地元を離れられなくなったとします。

そのとき、

自由を捨てるのか
家族を捨てるのか

という二択にすると、どちらを選んでも自分を傷つけます。

内面を俯瞰できるなら、まず、

自分は今、自由を失うことを悲しんでいる
窮屈さや怒りも感じている
以前の自分を失うようで怖い

と、その感情を認めると思います。

すぐに、

執着を手放そう
状況を受け入れよう
大人なのだから我慢しよう

とは考えません。

俯瞰することは、感情を消すことではありません。

今、自分の内側で何が起きているかを、正直に見ることです。

そのうえで、「自由」という価値観と、「自由を表現する方法」を分けます。

これまで、

自由=海外を移動すること

だったとしても、本当に大切だったのは、

  • 自分で選択できること
  • 新しい世界に触れること
  • 一人になれる時間
  • 自分の考えで働くこと
  • 未来に可能性を感じられること

かもしれません。

海外へ行けなくなっても、

  • 一日の一部を自分で設計する
  • 新しい知識や人に触れる
  • 家族と介護の分担を話し合う
  • 定期的に一人の時間を確保する
  • 数か月後に状況を見直す

という形で、自由の一部を残すことはできます。

これは、自由を諦めたのではなく、

自由の形を、現実に合わせて再設計した

ということです。

僕自身も、自由だけを優先できない経験をしてきた

これは、僕にとって単なる想像上の話ではありません。

これまでの人生では、父の他界を経験し、母が二度のがんを患った際には、入院や病院生活を支える時期がありました。そして僕自身にも子どもが生まれ、以前とは違う責任を持つようになりました。

若い頃の僕にとって、自由とは、自分の意思で場所や働き方、生き方を選べることだったと思います。

しかし家族の病気や死、そして子どもの誕生を経験すると、自分の気持ちや都合だけでは決められない場面が増えていきます。

母が病院で治療を受けているときに、

自分は自由を大切にしているから、好きな場所へ行く

という考えには、当然なりませんでした。

自分の時間を使い、予定を調整し、そばで支えることを選びました。

子どもが生まれてからも同じです。

自分一人であれば、その日の気分で行動できたことも、家族の生活や子どもの状態を考えながら決めるようになりました。

以前の僕が大切にしていた「自由」という価値観がなくなったわけではありません。

ただ人生経験を重ねる中で、

  • 自分らしく生きること
  • 家族を支えること
  • 親として責任を持つこと
  • 大切な人と時間を過ごすこと

も、自分にとって大切な価値観になっていったのだと思います。

自由が消えたのではなく、自由だけでは人生を語れなくなった。

父の死や母の闘病、子どもの誕生を通して、僕の価値観は以前より複雑になり、同時に広がっていきました。

そして今の僕は、

自由か、家族か

という二択では考えていません。

家族を大切にしながら、自分に必要な自由も残す。
責任を引き受けながら、自分の人生まで見失わない。
今は誰かを支えることを選びながら、状況が変われば自分の生き方をもう一度見直す。

そうやって、複数の価値観の間でバランスを取りながら生きる現在の状態に、少しずつ行き着いたのだと思います。

以前の僕が考えていた自由は、「誰にも縛られず、自分の好きなように生きること」に近かったかもしれません。

しかし今は、

制約や責任がある中でも、自分が何を大切にし、どう行動するかを自分で考えて選ぶこと

も、自由の一つだと感じています。

家族を支えることが、いつも楽だったわけではありません。

不安になることもあれば、自分の時間や行動が制限されることに、苦しさを感じることもあります。

それでも、自分の感情を無視して無理に「家族のためだから当然だ」と思い込むのではなく、

自分は今、何を感じているのか
何を大切にしたくて、この選択をしているのか
自分自身が回復するための時間も確保できているか

と確認することが大切なのだと思います。

家族を大切にすることと、自分を犠牲にすることは同じではありません。

自分の人生を大切にすることと、家族への責任から逃げることも同じではありません。

この両方を否定せず、その時々で選び直していく。

僕にとって価値観を育てるとは、こうした現実の経験を通して、一つの価値観だけでは捉えられなかった人生を、より広い視点から見られるようになることなのだと思います。

自由よりも別の価値観を選ぶこともある

俯瞰できる人だからといって、常に自由を最優先にするわけではありません。

例えば、

今は自由に旅をすることより、母親を支えることを選ぶ

という決断もあります。

ただし、

長男だから仕方ない
周囲がそう言うから従う
自分の人生はどうでもいい

という状態とは違います。

自由を大切にしている自分が、それでも今は愛情や責任を優先すると決める

という選択です。

外から見れば、同じように地元に残り、介護をしているだけかもしれません。

しかし内面では、

選択肢がないから従っている

のか、

失うものを理解したうえで、自分で選んでいる

のかで大きく違います。

これが、外側の制約の中でも残せる「内面の自由」なのだと思います。

柔軟になることと、自分を押し殺すことは違う

「価値観を柔軟に変えよう」と言うと、どんな環境にも適応すればいいように聞こえるかもしれません。

しかし、それは違います。

例えば、自分で工夫しながら働くことを大切にしている人が、強く管理される職場にいるとします。

仕事の進め方を細かく指定される。
改善案を出すと「余計なことをするな」と言われる。
休暇を取ろうとすると嫌味を言われる。
何年いても裁量が増える見通しがない。

最初は、

今は経験を積む時期だから仕方ない

と適応しようとするかもしれません。

しかし長期間、

  • 朝起きても活力がない
  • 小さな指示にも怒りが湧く
  • 休日も仕事のことを考えてしまう
  • 自分が何をしたいのか分からなくなる
  • 改善のための話し合いすらできない

という状態が続いているなら、問題は価値観への執着だけではありません。

環境そのものが、その人の性質や価値観と根本的に合っていない可能性があります。

そこでさらに、

自分がもっと柔軟にならなければ
自由への執着を捨てなければ

と内面だけを変えようとすると、過去と同じように自分の感情を押し殺すことになります。

俯瞰とは、自分をすべての環境に適応させる能力ではありません。

自分の考え方を変えるべきなのか
負担や条件を交渉すべきなのか
それとも環境から離れるべきなのか

を、内面と現実の両方から判断する力です。

「回復や再選択の見通し」があるか

環境に適応できるかどうかを考えるうえで、僕は「見通し」が非常に大事だと思います。

例えば、

今後3か月は忙しい
その後は休暇を取る
半年後に働き方を見直す

と分かっていれば、今の制約を引き受けやすくなります。

一方で、

いつまで続くか分からない
状況を変える話し合いもできない
希望を伝えると否定される
何をしても変わらない

という状態では、人は少しずつ消耗していきます。

人は、制約があることだけで苦しくなるのではありません。

自分には選択権がない
この状況には終わりがない

と感じることで、より深く無力になります。

僕の高校時代にも、これに近い感覚がありました。

授業も、部活も、進路も、どこへ向かっているのか分からない。

しかし、別の道を考えること自体が「逃げ」のように感じられていました。

今思えば、必要だったのは「もっと我慢すること」ではなく、

この状態はいつまで続くのか
本当に別の選択肢はないのか
自分は何を望んでいるのか

を、一度立ち止まって考えることでした。

個性とは、固定された本質ではない

自由奔放な人や、リーダー的な人を見ていると、

あの人は生まれつき、そういう人なのだ

と感じることがあります。

確かに、生まれ持った気質はあります。

しかし個性は、最初から完成された形で存在しているわけではありません。

例えば、幼い頃から新しいことに興味を持ちやすい人が、旅先で多くの成功体験を得ると、

自分は動きながら生きる方が自然だ

という自己認識を持つようになります。

人前で意見を言うことが得意な子が、周囲からまとめ役を任され続けると、

自分は人を導く役割が向いている

というアイデンティティが育っていきます。

反対に、前に出るたびに、

出しゃばるな

と否定されれば、その性質は表に出にくくなるでしょう。

つまり個性とは、

生まれ持った傾きが、世界との関係の中で形になったもの

だと思います。

だから個性も、完全に固定されたものではありません。

自由奔放だった人が、人生のある時期には責任を引き受けることもある。
リーダーだった人が、一歩引いて支える役割を選ぶこともある。

それによって「本当の自分」を失ったとは限りません。

むしろ、それまで一つの形でしか表現できなかった個性が、より広く、成熟した形になった可能性もあります。

価値観は守るものではなく、育てるもの

以前の僕は、自分らしく生きるとは、

自分の価値観を曲げないこと

に近いと思っていたかもしれません。

しかし今は、少し違います。

価値観は、絶対に変えてはいけないものでも、環境に合わせて簡単に捨てるものでもありません。

経験する。
感情が動く。
立ち止まって見る。
自分が本当に大切にしたいものを確認する。
必要なら、定義や優先順位、表現方法を変える。

そうやって、価値観は育っていくのだと思います。

自由を大切にしていた人が、家族との時間の重要さを知る。
挑戦を大切にしていた人が、休息も継続の一部だと気づく。
誠実さを大切にしていた人が、正論を言うことだけが誠実ではないと学ぶ。

これは、価値観が弱くなったのではありません。

価値観が現実との対話を通して、深くなったのです。

本当の自由とは、何でもできることではない

ノマド生活をしていると、「自由でいいですね」と言われることがあります。

確かに、場所や時間を選べる自由はあります。

しかし外側の自由を手に入れても、

もっと移動しなければ
ノマドらしく生きなければ
一つの場所に落ち着いたら自分らしくない

という思考に支配されれば、心は自由ではありません。

反対に、一時的に場所を動けなくても、

今、自分は何を感じているのか
何を大切にしたいのか
この状況で何を選べるのか

を自分で見つめられるなら、内面には自由が残っています。

本当の自由とは、制約が一つもないことではない。

本当の自由とは、感情や思い込み、周囲の常識に反射的に従うのではなく、一度立ち止まって、自分はどうしたいのかを考えられること

なのかもしれません。

まとめ

価値観は、人生の方向性を示すコンパスです。

しかしコンパスが示す方向へ進む道は、一つではありません。

海外へ行けない時期があっても、自由を大切にすることはできます。
家族を優先しても、自分らしさを失うとは限りません。
以前の価値観を変えても、過去の自分を否定する必要はありません。

大切なのは、

今の自分は何を大切にしているのか
その価値観は今も生きているのか
今の方法は、本当にその価値観を実現しているのか
それとも、昔の思考に従っているだけなのか

と問い続けることです。

価値観を守ることだけに必死になると、価値観そのものに支配されることがあります。

だからこそ、

価値観は守るものではなく、育てるもの

と考えた方が、僕にはしっくりきます。

環境に合わせて自分を消すのでもなく、過去の自分に固執するのでもない。

その時々の現実の中で、自分が本当に大切にしたいものを見つめ直し、表現の仕方を選び直していく。

それが、僕にとっての「自分らしく生きる」ということなのだと思います。


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