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元サラリーマンが語る!海外ノマドになるまでのリアルストーリー

ABOUT US
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RYO代表

1985年大阪生まれ。英語コーチ・オンライン起業家。

現在は英語コーチングサービス「RYO英会話ジム」を6年以上運営。2020年から海外ノマドとして世界を旅しながら、オンラインで生計を立てています。

得意分野:

  • 英語コーチング(商品開発・教材制作)
  • Webサイト設計・売れる導線設計
  • SNS/SEOマーケティング
  • オンラインで生計を立てる仕組みづくり

趣味:英語学習、ノマド生活、筋トレ、資産運用

ライフスタイル:柔軟で自由な働き方を追求し、パンデミック以前からデジタルノマドを実践。今後はこの働き方をさらに体系化し、広めていきたいと考えています。

イントロ

気づけば、僕はサラリーマンから「海外ノマド」へと歩みを進めていました。
けれど、それは決して一夜にして手に入れた生き方ではありません。

普通に就職 → 安定した会社員生活 → 将来は駐在や昇進…
そんな「よくある日本のレール」を歩むはずだった僕が、なぜ海外を拠点に自由に働く道を選んだのか。

そこには、異文化との出会い意思決定の勇気、そして憧れる人との出会いがありました。
この記事では、僕自身の体験を振り返りながら、サラリーマンから海外ノマドになるまでのプロセスをお話しします。

1. 大学時代の転機 ― 異文化との出会い

オーストラリア留学

大学生活の途中で、僕は思い切って2年間の休学を選びました。行き先はオーストラリアとフィリピン・セブ。
この経験が、今の生き方につながる最初の大きなターニングポイントでした。

フィリピン留学

現地では、国籍も価値観も違う人たちと日々交流。
「安定した大企業に就職して定年まで勤める」という日本的な常識が、いかに限られた生き方なのかに気づきました。
そこで学んだのは、人生の選択肢は無限にあるということ。

この2年間で、僕の中に「自由な働き方への憧れ」と「柔軟な発想」が芽生えたのです。

2. 就職活動と父の一言

大学卒業

休学を終えて日本に戻り、残り半年の大学生活で就職活動を始めました。
貿易会社や英会話スクールの面接を受けたものの、どこかしっくり来ない。
頭では「日本で就職するのが普通」と分かっていても、心の中では「本当にこれでいいのか?」と迷っていました。

そんなとき、父からかけられた一言が忘れられません。

「海外で働きたいから留学やワーホリに行ったんじゃないのか?」

その瞬間、胸の奥で何かが弾けたように感じました。
「自分の本音に従っていいんだ」と気づかされ、海外で働く道を本気で選ぶ決意を固めたのです。

3. マニラ就職と価値観の変化

同僚との飲み会

大学卒業後、僕は日本ではなくフィリピン・マニラで働く道を選びました。
最初はオンライン英会話の会社、その後はゲーム開発の会社、そして最後は大手企業向けのビジネス英語研修。合計で約6年間、現地でサラリーマン生活を送ります。

マニラ勤務時代

その中で特に大きな影響を与えてくれたのが、和さんという先輩の存在でした。
彼は「駐在員になることがゴール」という一般的な価値観に疑問を持ち、もっと自由な生き方を模索していたのです。

  • 「駐在員になっても縛られるだけで面白くない」
  • 「自分の好きな場所・好きな人と働いた方がずっと豊かだ」

そんな彼の言葉は、僕の固定観念を大きく揺さぶりました。
それまで「いつか日本に戻ってキャリアを築く」と考えていた僕が、“場所に縛られない働き方”こそ理想だと気づくきっかけになったのです。

4. 副業ブログの立ち上げ

カズサンと暮らした日々

和さんとの出会いに触発され、僕も行動を起こしました。
それが、英会話ブログの立ち上げです。

当時はまだ会社員だったので、昼は仕事、夜は帰宅してブログ更新という毎日。
とにかくコツコツと記事を書き続けながら、少しずつアクセスを集めていきました。

和さんからは、アフィリエイトやWeb集客、コピーライティングの考え方を徹底的に教わりました。
ただ、僕自身は「他社の商品を売るより、自分の経験を活かして自分の商品を作って販売したい」という気持ちが強く、自然とそちらの道を選びます。

ここから、会社員を続けながら副業でビジネスを育てる、二足のわらじ生活がスタートしました。

5. 会社員を続けながら育てたビジネス

ブログを始めてからの数年間は、会社員と副業の二刀流でした。
朝は英会話講師として授業、昼は会社員として勤務、夜は帰宅してからブログ執筆や生徒カウンセリング。
まさに超ハードスケジュールの日々でした。

その後、ビジネス英語研修の会社に転職。そこで身につけたのは、

  • 大手企業向けの研修の回し方
  • 人事担当者とのやり取り
  • ビジネスメールや来客対応

といった「実務的なスキル」でした。

一方、ブログも着実に成長し、あるときオンライン予約システムを導入したことで最初の顧客が誕生。
その後は口コミやアクセス増加で少しずつ生徒が増え、月15万円の売上を達成しました。

「このまま時間を注げばもっと伸びる」と確信し、ついに独立を決断する時が来たのです。

6. 32歳での独立

フィリピンBGCのAirbnbコンド

32歳のとき、僕は会社員を辞め、ついに独立しました。
当初は実家に戻り、1日10時間以上パソコンに向かう生活
当時は「リモートワーク」という言葉がまだ一般的ではなく、周囲からは「家で仕事してるって怪しくない?」と思われることもありました。

地元の大阪

しかし、地道に続けた努力は少しずつ成果に。

  • ブログは月30万アクセスを突破
  • 問い合わせが自然に増える仕組みが完成
  • 講師を増やし、最終的には10名規模のチームに拡大

サラリーマンから始めた小さな副業は、気づけば「本業」として十分に成り立つまでに成長しました。

7. 海外ノマドとしての学びと気づき

ドバイのホステル

振り返ると、サラリーマンから海外ノマドになるまでに必要だったのは、必ずしも特別なスキルや完璧な計画ではありませんでした。
大切だったのは、むしろ次の3つです。

  • 異文化体験で価値観を広げること
  • 自分の意思で進路を選ぶ勇気
  • 憧れる人や挑戦する仲間との出会い

また、ビジネス面では「完璧な商品」を作ろうとするのではなく、お客さんが求めるものをシンプルに提供し、発信を続けることが何よりも効果的でした。

ノマドとして生きる上で重要なのは、技術的なノウハウ以上に、
「自分はどう生きたいのか」という問いに正直であること。
その意思さえあれば、やがて必要な知識や手段は自然と集まってくるのだと学びました。

まとめ

台湾のホステル

僕がサラリーマンから海外ノマドになるまでの道のりは、決して一直線ではありませんでした。
迷い、試行錯誤しながらも、

  • 留学での異文化体験
  • 父からの一言
  • 尊敬する人との出会い
  • 副業としての小さな行動
  • 独立への決断

これらを積み重ねた結果、今の自由な働き方につながっています。

「海外ノマド」になるのに魔法のような近道はありません。
けれど、自分の意思を大事にして一歩を踏み出せば、誰でも少しずつ“自由な生き方”に近づける。

それが、僕自身の体験から伝えたい一番の学びです。

おまけ:海外ノマドに必須のVPN

ここまで僕のノマド体験を振り返ってきましたが、最後にひとつ強調したいことがあります。
それは、VPNの重要性です。

実は僕自身、タイ滞在中にクレジットカードのハッキング被害に遭い、2度も利用を停止されたことがあります。
また、海外からは日本のオンラインバンキングや一部の投資アプリ、SNSが使えないことも少なくありません。

そんな時に役立つのがVPN。

  • 海外からでも日本のサービスに安全にアクセスできる
  • 個人情報や決済データを守れる
  • ビジネス用SNS(例:TikTok)での配信制限も回避できる

まさに、海外ノマドのライフラインと言っても過言ではありません。

詳しくはこちらの記事で解説しています👇
👉 海外ノマドにVPNが必須な理由と解決策

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