はじめに|なぜ今、あえて「心の話」を書くのか
最近、少しペースを落としています。
ブログも、仕事も、発信も。
と言っても、全部やめたわけではなくて、
「一旦、力を抜いている」という感覚が近いです。
2025年まで、英語コーチングのブログを中心に、
集客目的でかなりの量の記事を書いてきました。
合計すると、2,790記事くらい。
今思うと、
「よくそこまでやったな…」
というのが正直な感想です。
ただ、今は事業を拡大するよりも、
自分の内面と向き合う時間を大切にしています。
この記事は、
「こうすれば成功する」みたいな話ではありません。
この数年で自分の中に起きた変化を、
そのまま言葉にして残しておこう、という記録です。
2,790記事を書き続けた7年間を振り返って
楽しかったからこそ、ここまで続けられた
ブログを始めたのは7年以上前ですが、
最初は本当にシンプルでした。
- 自分が学んできた英語のこと
- 失敗したこと
- 生徒さんとのやりとり
- 「これ、当時知りたかったな」と思うこと
それをただ書いて、共有していただけ。
正直、
「楽しかった」んですよね。
だからこそ、
- 毎日書けた
- 時間をかけられた
- 続けられた
これは後づけの美談じゃなくて、
今振り返っても事実だと思います。
今思うと「よくやったな」と思える理由
途中からは、
- 毎日3〜4時間
- SEOや検索順位を意識して
- 集客のために
かなり本気で向き合っていました。
当時は必死だったので気づかなかったですが、
今こうして距離を取ってみると、
いや、普通にやりすぎだな(笑)
と思います。
でも同時に、
あの時期があったからこそ今がある
というのも、ちゃんと感じています。
会社員時代とノマドライフで変わった「心の余白」
会社員時代|忙しさが先に来ていた感覚
会社員として働いていた頃は、
毎日がとにかく「外側」で完結していました。
- 仕事の締切
- 会社のルール
- 人間関係
- 評価
常に何かに反応している感じで、
自分が今どう感じているかなんて、
考える余裕はほとんどなかったと思います。
今振り返ると、
心を観察することは難しかったし、どころじゃなかったのかもしれません。
ノマドライフ以降|自然と内側を見る時間が増えた
ノマドライフを始めてから、
不思議と「心を見る時間」が増えました。
別に特別なことをしたわけではなくて、
- 移動が多い
- 一人の時間が増える
- 生活のリズムを自分で決められる
そういう環境の変化が大きかったと思います。
その中で、
- どんな時に気分が落ちるのか
- 誰といると楽なのか
- 何をしている時に無理しているのか
そういうことが、
自然と見えるようになってきた感覚があります。
瞑想や心の観察を通して気づいたこと
感情は「消すもの」ではなかった
瞑想や心の観察を続けていて、
一番大きな気づきはこれでした。
感情は消せない。
というか、
消そうとすると、むしろ残ります。
正確に言うなら、
観察していると、
勝手に変化して、
最終的に消えていく
この感じが一番しっくりきます。
ネガティブな感情も、
ポジティブな感情も、
どちらも人間らしさの一部。
「なくす」よりも、
同一化しないことの方が、
ずっと大事だなと感じるようになりました。
心を平和に保つとは「距離を取る」こと
例えば、
- 「自分はイライラしている」
ではなく - 「イライラが今、起きている」
この一歩引いた見方ができると、
感情に飲み込まれにくくなります。
これは人間関係でもかなり助けられました。
感情を否定しないけど、
感情が自分そのものでもない。
この距離感が、
少しずつ身についてきた感じです。
「ワクワク」への違和感が出てきた話
よく、
ワクワクすることをやりましょう
って言われますよね。
もちろん、それ自体を否定する気はないんですが、
ずっと心のどこかで、
違和感がありました。
一時的な興奮としてのワクワク
例えば、
- 新しいことを始めた瞬間
- 強く褒められた時
- 刺激的な話を聞いた直後
こういう時のワクワク。
これはこれで楽しいし、
人間として自然な反応だと思います。
でも、
- 強い
- 一時的
- 冷めるのも早い
という特徴があるのも事実。
もう一つの「静かなワクワク」
一方で、自分の中には、
- 無心になれる
- ずっとやっていられる
- 終わったあとも疲れない
そんな静かな感覚があることにも気づきました。
料理をしている時。
文章を書いている時。
歩いている時。
テンションが上がるわけじゃないけど、
自然と続いている感じ。
この感覚が何なのか、
しばらく言葉にできませんでした。
静かなワクワクと「フロー」は同じなのか?
前編で書いた、収益は減るかもしれない。それでも僕が「作業を減らす選択」をした理由
静かなワクワク。
これについて考えている中で、
よく出てくる言葉が「フロー」でした。
いわゆる、
- 夢中になる
- 時間を忘れる
- 自分と行為が一体になる
あの状態ですね。
ただ、正直に言うと、
フローそのものか?と聞かれると、
少し違う気もしています。
フローそのものというより「フロー基調」
感覚的には、
- 完全に没入している瞬間(フロー)
- そこに入りやすい、穏やかな状態
この後者の方が近い。
テンションが高いわけでもなく、
興奮しているわけでもない。
ただ、
- 抵抗がない
- 無理していない
- 自然に続いている
そんな状態。
だから僕の中では、
「フローそのもの」というより「フロー基調」
という言葉が一番しっくりきています。
なぜ「料理・書く・歩く」は瞑想的になるのか
ここで一つ、
自分の中で整理できたことがあります。
よく言われがちなのが、
- 作業がシンプルだから
- 身体感覚が中心だから
- 評価や比較が入りにくいから
という説明ですが、
これは半分正解で、半分違うなと感じました。
評価は、普通に入っている
実際、
- 料理は評価される
- 文章も読まれるし、数字も出る
- ジョギングだって、記録や大会がある
評価が「ない」わけではありません。
それでも無心になれる時がある。
じゃあ、何が違うのか。
本質は「評価」ではなく「操作」
たどり着いた答えは、これでした。
評価があるかどうかではなく、
評価をコントロールしようとしているかどうか。
- うまく見せよう
- 期待に応えよう
- 成果を出そう
こうやって「操作」が入ると、
一気に重くなります。
逆に、
- ただやる
- 今やっていることを通す
この状態だと、
評価が後から来ても壊れない。
瞑想と似ているのは、
無評価ではなく、
非操作の感覚なんだと思います。
英語コーチングブログで起きたバーンアウト
この「操作」が一番強く出たのが、
英語コーチングのブログでした。
書くことが「集客の手段」になった時
最初は楽しかった「書くこと」が、
- 検索順位
- アクセス数
- コンバージョン
そういうものを意識する割合が
どんどん増えていきました。
気づいたら、
- 書くことで整う
ではなく - 書いて成果を出す
に完全にシフトしていた。
今思えば、
ずっとアクセルを踏み続けていた状態
だったと思います。
一度止まった理由
去年の終わり頃、
正直かなり疲れていました。
ただ、
- もう嫌になった
- 何もしたくない
という感じではなく、
なんか、ズレてるな
という静かな違和感。
そこで、
思い切って1か月くらい、
意図的に距離を取りました。
休んでみて、見えてきたこと
心が軽くなる、という感覚
休んで一番感じたのは、
心が軽いということ。
- 書かなきゃ
- 更新しなきゃ
という圧が抜けるだけで、
呼吸が深くなる感じがありました。
これは、
どんな理屈よりも
信頼できるサインでした。
書くことが、また生活に戻ってきた
今は、
- 毎日書かない
- 時間がある時に
- 気になったことを少し書く
そんな距離感です。
リライトしたり、
ふと思いついた英語表現を書いたり。
義務ではないけど、
完全になくなるわけでもない。
この状態が、
今の自分にはちょうどいい。
今、心の休息を最優先にしている理由
ある程度、
生活や事業の基盤ができたからこそ、
今は、
- さらに拡大する
- 無理に次へ進む
よりも、
自分の内側を整えること
を優先しています。
焦らない。
操作しない。
でも、止まってもいない。
この感覚が、
今は一番しっくりきています。
おわりに|静かなワクワクを基盤に生きる
派手な興奮や、
一時的なワクワクは、
確かに楽しいです。
でも、
- 長く続く
- 消耗しない
- 終わったあとに満ちる
そんな静かな感覚の方が、
人生の基盤になる。
2,790記事を書いて、
一度立ち止まって、
今はそう感じています。
これからも書くと思います。
ただし、
自分の感覚を裏切らない形で。
今はそれでいいかな、
というところです。
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